関野 善次郎(せきの ぜんじろう、1853年6月20日(嘉永6年5月14日)- 1935年(昭和10年)11月15日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員、富山市長。旧姓は神野、幼名は太三郎、旧名は彦兵衛。族籍は富山県平民。

経歴

能登国鹿島郡八幡村(現石川県七尾市八幡町)で、豪農・神野太平次の六男として生まれる。元治元年(1864年)富山東堤町(現富山市)の呉服商・関野善右衛門の養子となり彦兵衛と改名。その後、家督を相続して善次郎と改名し、富山藩より長町人(おとなちょうにん)に任じられ、さらに呉服物御用方、藩金融通所手添役を務めた。

明治維新後は、戸長、富山連合町会議員、同議長を務め、1882年、越中改進党の結成に参画し、1884年、山野清平と『中越新聞』を発刊するなど、富山県の改進党系の指導者として活動した。その他、富山市会議員、同議長、富山県会議員、同議長などを務め、1890年7月、第1回衆議院議員総選挙に富山県第一区から出馬して当選し、その後、第2回(補欠選挙)、第3回、第7回、第9回総選挙でも当選した。

1907年12月12日、富山市長に就任。富直線開通の促進、市内道路網の整備、近隣村との合併の促進、富山市史編纂事業の着手などを進めた。市長在任中の1909年、日本製糖汚職事件で検挙され、同年5月7日、市長を辞任し、同年7月3日に、東京地方裁判所第二刑事部において重禁固3ヶ月、執行猶予3年の有罪判決が言い渡された。これにより勲四等を褫奪された。その後、1915年3月の第12回総選挙に憲政会所属で富山市選挙区から出馬して再選され、衆議院議員を通算6期務めた。

実業界では、第百二十三国立銀行の設立に加わり取締役に就任。その他、第十二国立銀行頭取、富山商業会議所会頭、米穀肥料取引所理事長、富山日報監査役、富山電気監査役、富山県農工銀行監査役、中越鉄道取締役などを務めた。

人物

住所は富山市袋町。

家族・親族

関野家
  • 養父・善右衛門
  • 妻・ヤヰ(1862年 - ?、養父善右衛門の長女)
  • 長男・善郎(1889年 - ?)
  • 二男・幸次郎(1891年 - ?、神野良の養子となる)
  • 養子

脚注

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
  • 雨宮昭一「日糖事件 - 汚職事件と検察権の拡大」『日本政治裁判史録 明治・後』第一法規出版、1969年。
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第2巻、歴代知事編纂会、1984年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『富山大百科事典 上巻』北日本新聞社、1994年。

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